11月7日(木曜日) 京都市立芸術大学 日本伝統音楽研究センターにて、伝音セミナー [第7回 「琉球」の音色を聴く 王朝時代と現代の三線弾き聴き比べ]が開催され、聴講してきました。
講師は遠藤 美奈先生。(日本伝統音楽研究センター非常勤講師)、そして、ゲストに、沖縄から、仲嶺 幹さん。(三線職人,沖縄県三線製作事業協同組合事務局長)、喜納 吏一さん。(三線奏者,野村流音楽協会師範)のお二人を迎えての講演でした。
昨年11月に三線が県の伝統的工芸品から国の伝統的工芸品の指定となるまでに、工芸品としての歴史を改めて調査しなおすため、三線職人の仲嶺幹さんは、沖縄県三線製作事業協同組合の事務局長としてかかわられてこられました。その中でわかってきたことを、今回このセミナーでお話くださり、とても興味深く聞かせて頂きました。
三線の伝来から琉球での発展、そして庶民への広がりについてお話をされ、次に三線の構造と製作工程を映像と共にご紹介くださり、そして琉球王朝時代の三線の復元についてのお話をしてくださいました。
沖縄県指定文化財の「盛嶋開鐘(もりしまけーじょー)」、「志多伯開鐘(したはくけーじょー)」、「富盛開鐘(とぅむいけーじょー)」、「江戸与那(えどゆなー)
型」、「拝領南風原(ふぇーばる)型」と、東京国立博物館の「蛇皮線」を学術的に
研究者と共に調査。CTスキャンなどを使って、細部まで細かく調査された結果、
王朝時代の三線は、弦には絹を使用し、竿は少し短く、胴の直系が現在のものより大きめで、内部に溝を掘るなどの低音を響かす工夫がされていたこと。
胴の直系が大きいと、皮を強く張ることがむずかしく、張りの強さは、現在の三線のやく半分で5部張りだったということがわかってきたそうです。
そして、現在の三線はなぜ胴が小さくなり、高い音になってきたのかについてもお話くださいました。
1950年頃、高度成長期に入り、物流が豊かになり、蛇川がたくさん入ってくるようになったこと。
同時期に、テトロンやナイロンの弦が使われるようになったこと。そして、野村流の幸地亀千代氏が
テトロン弦を使用し、5や6の高さで歌われたことで、爆発的に高い評価を受け、名人と呼ばれたこと。そうしたこともあって、声を高く、三線の音も高く、という時代があったそうです。
これにより、高い音がでるよう、胴が小さくなり、糸も、それまでは絹の糸から強く高く晴れる、テトロンやナイロンが主流となったと考えられているとのこと。そのようにして、三線は高音化してきたと考えられるそうです。
徳川美術館に王朝時代の江戸上りのときに献上された琉球楽器群があり、そのなかに横笛が収蔵されていて、その笛の音の高さが、2の高さ(A♯)であることから、
当時の三線の音の高さは、平均して2だったと考えられるそうです。
その後いよいよ、復元された三線と、現代の三線の音の聴き比べ。演奏は、野村流音楽協会師範 喜納 吏一先生。
瀧落管撹(たちうとうしすいががち)、干瀬(フィシ)節、仲村渠(ナカンカリ)節。調弦は2で、復元された三線のやさしくふかみのある音色にとても驚き感動しました。
低温の響く三線は、近くでよく響き、よく聴こえ、高い音の三線は遠くまで音がよく響くとのことです。
何が良い音なのか、この数十年で決めるのはどうなのか。現代では様々な楽器と三線の音があるが、昔はそうではなかった。環境や時代によっても、良い音は変わるもの。その時代によっての良い音があるのではとのことでした。
また、楽器が変わり、音の高さからでは歌唱法も変わり、その中で、失われてきた何かがあったかもしれないということもお話されました。